*OBの活動 ○▲特記事項 ■歴史的な出来事 (青文字をクリックすることで報告書をご覧いただけます)

2016年

3月:別山尾根から剱岳 
7月:エルキャピタン(留学中の鈴木雄大) 
*コクシャール登山(橋本秀、奥田祥)

2015年

*1月:OB3人、遠見尾根の山スキーで遭難死 
2月:南アルプス白根三山縦走 
3月~:アイランドピーク合宿(犬塚智之ら8人)
8月:レーニン峰(犬塚) 
12月:中崎尾根~槍ヶ岳           

2014年

2月:早月尾根より剱岳 
5月:文科省登山リーダー研修に2人参加 ○▲
8月:大学の体育実技「山岳」を神の田圃ヒュッテで再開(講師は大谷映芳、中山駿、参加学生15人) 

2013年

3月:早月尾根より剱岳 
9月:北岳から聖岳縦走 
12月:神の田圃ヒュッテでスキー練習、白馬岳

2012年

2月~:アコンカグア合宿(水田幹久監督ら11人) 
○▲5月:体育名誉賞 
12月:涸沢岳西尾根から奥穂高

2011年

2月:白沢天狗尾根より鹿島槍ヶ岳 6月:「2010年度時報」発行 
12月:中崎尾根から槍ヶ岳

2010年

2月:横尾尾根より槍ヶ岳 
○▲3月:日下田実OB、早稲田大学スポーツ功労者表彰 
*4月:東伏見合宿所にクライミングボード設置 
9月~:雲南白芒雪山偵察(中山駿、奥田祥) 
○▲11月: 創部90周年祝賀会/『リュックサック』14号と『稲門会報特集号』発行   

2009年

2月:燕岳-蝶ヶ岳縦走(5人)  
9月:南アルプス縦走(8人)  
11月:立山(8人+稲葉コーチ)

2008年

2月:神の田圃ヒュッテで日中韓学生交流登山 
3月:春山合宿は奥秩父縦走(3人) 
*4月:大谷、有村カンチェンジュンガ偵察 
*10月:有村、クーラカンリ登山隊に参加、雪崩で死亡

2007年

1月:谷川岳の岩稜登攀(有村監督と部員1人、3月に部員2人が退部) 
○▲スポーツ推薦枠から山岳部除外 

2006年

3月:天狗尾根より西穂、奥穂(部員7人、OB3人) 
7月:有村、後藤一郎ら3人、コルディエラブランカ登山

2005年

2月:知床半島縦走(部員9人) 
8月:第4回海外合宿・モンブラン山群とドロミテ(山田新監督、部員8人) 

2004年

2月:飯豊連峰主脈縦走(部員8人、有村OB)  
8月: 吉永、古関、JAC学生部ネパ-ル・ムスタン登山

2003年

2月:朝日連峰の全山縦走(3人)  
5月:涸沢で定着合宿  
8月~:吉永、古関光浩、ネパールトレッキング

2002年

6月:渡辺、JACマッキンリー観測 8月:有村、吉永岳央、西ネパール偵察 
○▲山岳部にスポーツ推薦枠1人

2001年

3月:爺ヶ岳から鹿島槍ヶ岳 
○▲『リュックサック』13号創刊 
6月:涸沢新人合宿(稲葉がコーチ参加)

2000年

7月:チョンムスターグ登山(山田新ら12人、うち学生5人) 
○▲11月:創部80周年祝賀会/『リュックサック』80周年記念号発行  

1999年

9月:浜谷栄彦と1年3人でヒマラヤトレッキングと登山 
*9月:渡辺佳苗、JAC学生部雪宝峰登山に参加

1998年

3月:稲葉コーチと部員2人で日高山脈  
10月:蛭田、JAC学生部ブータン・ヒマラヤ登山に参加
*3月~:椎名、JACのカンチェンジュンガ登山に参加し登頂、下山中に死亡 

1997年

*3月:椎名厚史、JAC青年部ダウラギリⅠ峰登山に参加 
4月:新学期以降合宿は自粛傾向(夏山合宿は2人)
6月:蛭田弥希、JAC学生部マッキンリー気象観測隊に参加  
12月:ニセコ連山スキー縦走(3人)

1996年

2月:ネパールヒマラヤで春山合宿(伊藤憲治ら5人) 
*5月~:稲葉、椎名がJAC青年部K2登山隊に参加、2人とも登頂  
6月:朝日連峰で個人山行の新谷希土が遭難死(遺族が部の責任追及)

1995年

2月:八ヶ岳定着合宿(7人+OB) 
7月:椎名厚史、JAC学生部ムスターグ・アタ登山 
○▲9月:夏山合宿に2年部員4人退部

1994年

2月:剱別山尾根で4年2人、2年1人が凍死  
4月:合同慰霊祭  
○▲3月:映像記録『早稲田の山』制作
*5月:小林浩、マッキンリー、ウエストリブ登攀  
*6月: 稲葉英樹、JACガッシャーブルムⅠ峰登頂

1993年

2月:大日尾根から大日岳(8人、故障者続出で計画に支障) 
12月:立山丸山尾根‐雄山(7人)

1992年

3月:赤谷尾根-剱岳-早月尾根縦走(サポート隊含め8人) 
5月:涸沢新人合宿(新人6人 )

1991年

2月:弓折岳より笠ヶ岳、槍ヶ岳  
*7月~:トリボール登山(大貫ら7人、うち学生2人)モムヒル稜から登頂
○▲この年度、新入部員ゼロ

1990年

2月:爺ヶ岳東尾根より鹿島槍ヶ岳(7人) 
○▲10月:創部70周年祝賀会  
○▲11月:神の田圃新ヒュッテ竣工式   

1989年

2月:遠藤淳、JAC学生部クスムカングルー隊  
3月:弥陀ヶ原から立山(5人)

1988年

1月: 白馬岳主稜合宿  
2月:鹿島槍ヶ岳と五龍岳  
*2月~: JAC三国チョモランマ登山に大貫敏史参加 

1987年

2月:西穂高岳北西尾根より奥穂高岳(8人) 
○▲夏山合宿以降、退部者2人が出て秋山合宿中止

1986年

2月:早月尾根より剱岳(7人) 
6月:「個人山行規則」を作成 
12月:神の田圃ヒュッテ(9人)

1985年

2月:高嵐尾根より赤牛岳(10人) 
8月:夏山合宿の移動期間中に木崎湖で2年部員が水死     

1984年

2月:早月尾根より剱岳(10人) 
7月:第3回海外合宿・ペルーアンデス(中山昇二ら19人)

1983年

3月:横尾尾根より槍ヶ岳、北穂高岳(6人) 
5月:涸沢で新人合宿(新人7人)  
12月:『リュックサック』12号

1982年

2月:知床半島主脈縦走(7人)  
5月:K2登山で体育名誉賞  
○▲9月:神の田圃ヒュッテ50周年の集い

1981年

2月:奥大日岳より剱岳(7名)  
6月~:K2登山(松浦ら14人うち学生2人)、西稜から初登攀 
*1月:竹中、冬の植村直己エベレスト登山で死亡 
*8月~:児玉、JAC天山ボゴダ登山

1980年

2月:涸沢岳西尾根より前穂高岳(6人) 
*2月~:濱野、山下JACチョモランマ登山に参加     

1979年

2月:南岳西尾根より槍ヶ岳(7人) 
*6月~:ラカポシ登山(大谷映芳ら6人、北稜からの初登攀)  
*9月~:Jキシトワール登山(竹中、登頂)

1978年

3月:剱岳早月尾根で2年部員が滑落死(~捜索難航) 
*7月:児玉、ユーコン/竹中、ティリチミール

1977年

2月:雄山東尾根より剱岳(7人) 
4月:涸沢新人合宿(新人男5人、女1人)

1976年

3月:南アルプス縦走(9人)/大タテガビンより八ツ峰(恵秀樹 、竹中昇) 
○▲4月:東伏見の合宿所開所式 
*JAC学生部ドゥナギリ隊(竹中登頂) 
*服部正弘マッターホルン北壁、ピッツバディレ北壁登攀

1975年

3月:早月尾根より剱岳(14人)  
○▲5月:籠川谷遭難50周年追悼の集い(大町公民館)  

1974年

2月:涸沢岳西尾根より滝谷登攀(1人名) 
6月~:カラコラム踏査(児玉茂、山下松司ら4人) 
10月:秋山合宿で甲斐駒登山の1年部員が大武川へ滑落して死亡 
12月:神の田圃で事故検討合宿

1973年

2月:日高山脈北部縦走(13人名) 
3月:前穂高岳北尾根から西穂高岳縦走  
○▲10月:東伏見合宿所地鎮祭

1972年

2月:明神岳主稜線から奥穂高(9人) 
12月:鹿島槍東尾根-五竜岳縦走、神の田圃ヒュッテスキー

1971年

2月:春山有志山行(10人) 3月:休部解除  
○▲4月:創部50周年祝賀会(大隈会館)

1970年

3月:第2回海外合宿ツクチェ・ピーク登山(山本聖二ら17人)、登頂のあと2年部員が滑落死              ○▲7月:体育局協議員会において休部処分 ○▲JACエベレスト登山、松浦輝夫が日本人初登頂     

1969年

3月:赤谷尾根より剱岳(20人) 
9月:ツクチェ・ピーク偵察(大滝OBら3人) 
10月:秋山合宿(4隊14人)

1968年

2月:穂高・天狗尾根より北穂、前穂(14人)  
7月:北穂の池定着、槍ヶ岳-剱岳縦走(22人)

1967年

2月:イラン・エルブールズで初の海外合宿(中山昇二ら20人) 
7月:『リュックサック』11号発行(25年ぶり)

1966年

2月:東大天井岳より槍ヶ岳(12人) 
6月:富士山で新人合宿  
■1月~6月:学費値上げ反対で全学休講

1965年

3月:小窓、早月、赤谷の3尾根より剱岳(9人) 
5月:残雪期合宿前穂高岳北尾根で2年部員2人名が墜落死   
7月:大学に再建答申書提出  
2月~:ローツェ・シャール登山(吉川ら11人、最高到達点8100m)      

1964年

2月:利尻岳仙法師稜など(17人) 
5月:横尾谷新人合宿(19人) 
○▲6月:女子部は部員不足で活動停止

1963年

2月:前穂高岳北尾根より北穂、西穂、ジャンダルム(25人)  
6月:岳川谷新人合宿(29人)

1962年

2月:明神岳主稜線より北穂高(24人) 
*5月~:吉川尚郎ら6人、アルパマヨ南稜、チュルップ初登頂

1961年

3月:春山有志登山(23人) 
5月:富士山遭難慰霊祭(6月:休部解除) 
10月:富士追悼登山(慰霊碑)

1960年

3月:赤谷尾根より剱岳、池ノ谷尾根、八ツ峰登攀(31人) 
11月:富士山吉田大沢で雪崩、4人死亡(~捜索難航)
○▲12月:体育協議会が休部処分  
5月~:マッキンリー登山(吉阪隆正ら6人)    

1959年

3月:明神岳東稜より奥穂高岳(17人) 
*3月:JACヒマルチュリ登山隊に村木、竹田寛次が参加 
○▲10月:明神遭難の遺体収容を終え大隈小講堂で慰霊祭 

1958年

2月:赤谷、小窓尾根より剱岳(27人)  
12月:明神岳東稜で雪崩、4人死亡(~下又白谷での捜索難航)

1957年

2月:日高山脈縦走(26人) 
3月:女子部が西穂高で春山合宿 12月:赤道アフリカ隊(関根、後藤董子、鈴木耿子らキリマンジャロ登頂)

1956年

3月:穂高・畳岩尾根より滝谷登攀(21人)  
■JAC第3次隊、マナスル初登頂、2次アタックで日下田登頂

1955年

3月:剱岳西面、鹿島槍ヶ岳(15人) 
5月:谷川新人合宿(35人)  
7月:夏山合宿(30人)       

1954年

3月:前穂高北尾根より北穂高  
8月:内田泰男、松浦輝夫滝谷P2フランケ登攀 
*3月~:第2次マナスル隊に村木、日下田実が参加

1953年

3月:北鎌尾根より槍ヶ岳(病人が出て中止 
10月:アコンカグア登山で体育名誉章 
○▲1月:近藤等『処女峰アンナプルナ』翻訳出版  
*3月~:日本山岳会(JAC)第1次マナスル登山隊に村木潤次郎参加

1952年

3月:穂高・岳川谷と鹿島槍ヶ岳で連続合宿(18人) 
10月~:南米アコンカグア遠征登山(関根ら6人)

1951年

3月:岳川谷より涸沢岳・滝谷登攀(19人) 
○▲12月:女子学生が初入部  
12月:富士山強化合宿

1950年

3月:前穂高岳北尾根より北穂高岳(24人) 
○▲12月:体育会所属の全部に監督制、初代山岳部監督に関根  

1949年

3月:赤谷尾根より剱岳(15人)
○▲8月:体育実技「山岳」を上高地徳沢などで実施 
○▲12月:「時報」1号発行

1948年

○▲5月:ペテガリ遠征で体育名誉章  
5月:谷川岳の新人合宿で1年生が疲労死  
7月:定着合宿と縦走

1947年

3月:極地法で前穂高岳北尾根  
12月~:稲門山岳会と合同で北海道ペテガリ岳遠征(藍田務隊長ら16人)

1946年

○▲2月:戦災免れた部室で臨時部員総会(活動再開)  
12月:翌年の春山合宿のため徳沢へ荷上げ

1945年

■8月15日 終戦 (山岳部関係の戦死者は22人)     

1944年

3月:穂高合宿の徳本峠越えで1年部員疲労死 
8月:穂高で合宿(12人) 
○▲10月:戦局悪化し休部 

1943年

3月:極地法で前穂高岳北尾根 (雪崩、テント焼失などで中断) 
■12月:文科系学生に学徒出陣令

1942年

3月:極地法で横尾尾根より奥穂高岳 
○▲8月:『リュックサック』10号 
○▲12月:名称変更「学徒錬成部山岳部」

1941年

3月:極地法で西穂高岳、奥穂高岳 
○▲6月:都下の大学山岳部が情報交換懇談会     
■太平洋戦争始まる

1940年

3月:明神岳東稜より奥穂高 
9月:『リュックサック』9号 
12月:第2次朝鮮・冠帽峰(関根吉郎ら15人) 

1939年

3月:明神岳東稜偵察/奥穂高ジャンダルム 
10月:第二早高上級生は山岳部に復帰合流

1938年

3月:穂高コブ尾根極地法訓練 
12月:台湾・新高山遠征  
12月:「第二早高山岳部々報」発刊

1937年

3月:西穂高岳で極地法訓練 
4月:早立東3大学懇親会 
○▲6月:部内がヒマラヤ志向派と総合登山派の2派に分裂、合宿など別々に行う
■7月:日中戦争始まる

1936年

3月:第2次馬場島、池ノ谷尾根完登(青木茂雄、西山寛) 
7月:穂高・涸沢で学院・学部合同合宿(49人参加) 
12月:朝鮮・冠帽峰遠征(灘波清一ら12人)

■立教大隊、ナンダコット登頂

1935年

3月:第2次遠見尾根 五龍岳東壁、鹿島槍北壁試登  
5月:剱岳西面合宿  
12月:第3次遠見尾根、鹿島槍北壁初登攀(村田愿、小西宗明)  
12月:馬場島生活で池ノ谷尾根試登        

1934年

3月:第5次槍平で第四尾根完登 
4月:出牛陽太郎ら槍平-立山温泉1日縦走 
○▲6月:『リュックサック』7号 
7月鹿島槍カクネ里偵察 
9月:剱岳チンネ北壁初登攀 
12月:遠見尾根生活

1933年

3月:第3次槍平、滝谷クラック尾根など積雪期初登攀 
12月:第4次槍平、第四尾根試登

1932年

3月:槍平小屋生活で滝谷偵察/剱岳八ツ峰初登攀  
12月:第2次槍平、滝谷第二、第三尾根冬期初登攀

1931年

3月:西穂・奥穂  
○▲11月:神の田圃ヒュッテ竣工 
12月:前穂北尾根単独登攀(今井友之助)

1930年

3月:奥穂、北穂、前穂北尾根  
○▲11月:創立10周年祝賀会 
○▲12月:スキーヒュッテ候補地調査    

1929年

6月:遭難記念碑設置  
7月:14隊に分かれて夏山登山  
11月:関東学生登山連盟結成(大隈小講堂)

1928年

1月:遭難真相調査委員会/追悼会 
6月:大町で籠川谷遭難追悼会  
12月:『リュックサック』6号

1927年

1月:塩見岳(矢島幸助) 
12月:針ノ木岳籠川谷をスキー登高中、雪崩で4人死亡(~捜索難航)

1926年 (大正15年・昭和元年)

3月:槍ヶ岳(四谷ら) 
9月:三つ峠で岩登り研究会 
12月:大沢小屋生活

1925年

2月:第1回ザイル祭  
4月:早高山岳部合流  
7月:滝谷初登攀(四谷龍胤ら) 
○▲10月:稲門山岳会設立     

1924年

1月:厳冬期槍ヶ岳 
11月:○▲『リュックサック』3号、『同』秩父号 
12月:針ノ木・大沢小屋でスキー登山訓練

1923年

3月:積雪期劒岳(舟田ら)
○▲5月:「山岳部」として独立
8月:剱岳八ツ峰初登攀
■9月:関東大震災

1922年

1月:乗鞍岳スキー登山 
○▲6月:部報『リュックサック』創刊 
7月:槍ヶ岳北鎌尾根(舟田三郎、麻生武治)

1921年

1月:関温泉でスキー講習会 
5月:燕岳から槍ヶ岳スキー登山  
○▲6月:「山岳スキー部」で体育会加入

1920年(大正9年)

○▲9月:創部(山岳会スタート) 
10月:奥秩父で記念山行(16人) 
12月:冬の富士登山を試みる