2017年度春山合宿

[経緯]
かねてから飯豊連峰には独特のオーラを感じていた。その名の響きからなのか、なんなのか…。とにかく「いつか登りたい!」そんな風にぼんやりと頭の片隅に置いてあった。その「いつか」は意外にも学生時代にやってきた。昨年6月に剱岳を春山の対象から外すことがコーチ会で決定されたためだ。

レベルの高い登攀ができないなら、雪と格闘する重厚長大な縦走をやってやろうと思った。できれば、来年度に向けて経験値を蓄積するためにも、記録の少ない山域のほうが良い。ーー「飯豊連峰だな。」頭の片隅に置いておいた山の名前が不意に浮かんできたのだ。

冬期の飯豊連峰縦走に向け、創刊号から2000年代までの岳人や山と渓谷を全て調べ上げ、記録をかき集めた。これを参考にし、山形県長者原から西俣尾根を経て主稜線を縦走し、三国岳から松ノ木尾根を下降するルートに決定した。

計画に万全を期すため、冬山合宿で西俣尾根の偵察を行い、いよいよ春山合宿で飯豊連峰縦走へと挑戦した。

1.対象:飯豊連峰縦走 西俣尾根〜主稜線〜松ノ木尾根

2.期間:2018年2月17日~3月5日

3.メンバー:CL4年福田、2年中島、浅川

4.概要:
2/27(火)晴れ
18:00部室集合〜22:00部室出発〜23:10夜行バスにて離京

18時に部室に集合。いよいよ始まる飯豊縦走へ期待を胸にパッキング。その後早稲田で下界最後の晩餐とし、22時に東京駅鍛冶橋バスターミナルへ向け出発。1人当たり40kgオーバーのガッシャーだったが、さほど混雑していなかったため、問題なく預けられた。23時10分に定刻通り離京。

2/28(水)晴れ 5度
05:00米沢駅=07:27JR小国駅=09:45奥川入荘〜10:30西俣尾根取り付き〜13:30大曲〜14:30十文字池〜16:00西俣ノ峰

米沢駅に到着したのは早朝だったが、震えるほどは寒く感じない。5時57分発の米坂線で冬山同様小国駅へ。車窓を流れる一面の雪景色に雪国の旅情を感じつつ、約1時間半電車に揺られる。小国駅でタクシーを呼んだが、出払っているため1時間半ほど待たされた。事前に小国タクシーに予約をしておくのが吉。冬山では見晴らしの良かった道路も3メートルほどの雪の壁に視界を遮られ、狭くなっていた。しかし通行には問題なく10時前に奥川入荘に到着し、すぐに歩き始める。西俣尾根取り付きへは30分ほど。ここから痩せ尾根の急登となったが、気温が高いため重い雪に足を取られる。加えて尾根上に大きなシュルンドが無数に口を開けており、ルートファインディングに時間がかかった。結局冬山で残置トラロープを使って通過した岩場で1p、大曲手前の急登で1pFIXしたことで、冬山の3倍の時間を費やしてしまった。大曲からは悪場もなく、膝下のラッセルを西俣ノ峰まで。ほとんどの雪庇は崩落していたものの、タイトロープで木々の間を縫うように進んだ。大曲から西俣ノ峰は冬山とほぼ変わらないペースで登りきり、16時に到着した。ピーク北側の樹林帯の緩斜面に幕営し、21時に就寝した。

大曲直下の急斜面。年末はすんなり通過できたが、グライドクラックと腐った雪のためFIXした。

ビレイする中島。

3月1日(木)5度 雨のち吹雪
終日停滞

5時に起床し、外を見ると雨に加えて濃いガスが立ち込めている。風はまだ強くはないが、二つ玉低気圧の通過が控えているため停滞とする。正午頃から暴風となり、15時頃から猛吹雪となった。標高は1000mだが北アルプスの稜線をも凌ぐ暴風が翌朝まで止むことはなかった。結局夜中にテントラッセルを3度行いなんとか持ちこたえた。

3月2日 (金)−5度 吹雪
08:00起床〜12:00出発〜13:40枯木ノ峰〜14:30大ドミにて幕営準備開始〜16:00幕営完了
午前中まで大荒れだったため、遅めに起床した。午後からは回復に向かいそうなので、大ドミまでテントを前進させることにする。12時に出発し、タイトロープにワカンで西俣尾根を登っていく。前日の雨や強風のためクラスト気味。ラッセルはなくいいペースで進む。ただ、午後になっても天候はさほど回復せず、視界は5〜10mほどのホワイトアウト状態だ。西風も非常に強く、幾度となく突風に体を煽られながら歩みを進めた。(通常行動はありえない天候だったが、冬山の偵察から、ルートファインディングも雪庇のケアも問題ないと判断しての行動だった。)冬山と比較して、稜上の積雪は1mほど増えてはいたが、雪庇はそれほど発達していなかった。14時半に大ドミに到着し、強風と格闘しながら幕営。幕営完了と同時に風は徐々に弱まりだした。

3月3日 (土)晴れ 風強い −7度
06:00出発〜07:15頼母木山〜07:45地神北峰〜09:45地神山〜10:30扇ノ地紙〜11:10門内小屋
夜から快晴となり月に照らされテント内も明るいほどであった。風は少々あるが、条件としては悪くない。これまでの強風でクラストした斜面をワカンアイゼンで頼母木山まで。似頼母木あたりから西風が勢いを増し、突風に煽られ転倒するものもいた。それでも快晴のチャンスを生かそうと北脵岳を目指した。地神北峰からは立っていられない暴風となり、匍匐前進で進む。それでも飛ばされそうなのでスリング等でお互いを結び合った。耐風姿勢をとっていた中島が風で飛ばされたが、結び合っていたことでなんとか止まった。それでも、偵察や記録から地神山を越えれば風は弱くなるはずと予想し、地神山までは稜線にしがみつくように進んだ。結局地神北峰から地神山まで20分足らずの道に2時間を費やした。地神山から先は風速25mほどになり、歩けそうなのでひとまず門内小屋を目指すことにした。地神山から扇ノ地紙のコル周辺はなぜか微風だったが、扇ノ地紙への登りから再び暴風とハイマツの踏み抜きに苦しんだ。11:10に門内小屋に到着。(ここまで顕著な雪庇はほぼなし。)小屋の東側の冬期入り口が開いたことに、心底安堵した。30分ほど休憩し、梅皮花小屋を目指すつもりだったが、やむ気配のない烈風の中入れる保証のない梅皮花小屋を目指そうという気はとうとう起きなかった。結局門内小屋にテントを張り、行動終了とした。夕闇に包まれるまで飯豊本山がくっきり望めるほどの快晴であった。

三匹穴を通過したところ。この頃は微風だったが、偽頼母木の登りで暴風になった。この後は写真を撮る余裕もなし。

3月4日 (日) 晴れのちホワイトアウト
06:00出発〜07:00北脵岳〜08:10烏帽子岳〜11:00御西小屋〜12:15飯豊本山〜13:30本山小屋

昨日の遅れを取り戻し、飯豊本山にアタックするため気合いを入れて5時55分に門内小屋を出発。

天気は快晴。風強し。

北脵岳へは5〜10mほどの雪庇を避けながらの登りだ。小屋からアイゼンで出発し、ところどころ土の露出した尾根を行った。ラッセルはなく、1ピッチで北脵岳を越えた。

北股岳山頂。風が少し落ち着き始める。

風は10〜15mと飯豊にしては弱いほうか。日本海や越後、東北の白い山々はもちろん北アルプスまでを見渡せる。北脵岳からの下りも急と聞いていたが、実際は全く問題ない。傾斜よりもむしろホワイトアウト時のルーファイに要注意だ。幸い視界はよく、問題なく梅皮花小屋へ。(門内小屋同様東側に ある冬期入り口は、凍結のため開かず。)ここから烏帽子岳までは比較的急登となるが、コースタイムを短縮し、08:10に烏帽子岳に立った。烏帽子岳山頂付近は風が弱かったので、休憩とアイゼンの上からワカンをはいた。飯豊連峰の主稜線で小屋以外で風を避けられるのは地神山から扇ノ地紙のコル周辺のみであるようだ。あとは御西小屋を目指して緩いアップダウンをひたすら退治していくだけだが、1856mのピークあたりで浅川がバテはじめた。ちょうどこの頃大日岳付近で雲が湧き出し、飯豊本山方面に流れ出した。稜線上でのホワイトアウトを避けるため、バテた浅川に発破をかけてなんとか御西小屋にたどり着いた。御西小屋で休憩後、視界の効くうちに飯豊本山までの広い稜線を進んでいく。起伏はさほどないが、体が重くペースが上がらない。駒形山でガスに捕まったが、ホワイトアウト直前で飯豊本山のピークに達した。

飯豊連峰の盟主飯豊山に到達した瞬間。福田の現役最後のピークはガスの中。さっきまでの快晴はどこに…?

山頂到着と同時に風も出始め、手荒い祝福を受ける。山頂滞在もそこそこに本山小屋まで退散することに。本山小屋へ向かう途中で完全にホワイトアウトし風も勢いをましてきたが、なんとか本山小屋を見つけることができた。急激に崩れた天候と浅川の体力から本山小屋に泊まることにした。本山小屋の北側の冬期入り口を掘り出し、転がり込んだ。小屋を揺るがすほどの強風の中、明日の好天を祈って就寝した。

3月5日(月)曇りのち雨
06:00出発〜07:20切合小屋〜09:00三国小屋〜0920松ノ木尾根下降点〜11:20松ノ木尾根末端13:00川入〜15:00いいでのゆ

4時に起床すると、風はおさまっていた。6時に視界5mほどの濃霧のなか下山開始。地形図を頼りに稜線を外さないよう高度を下げる。地形図では尾根状だが、実際は斜面になっており、ルートを外しかける。幸い夏道が露出している箇所が点在していたため、それを頼りに下山できた。50mほどの岩稜が続く御秘所も鎖が出ており、問題なく通過できた。草履塚から切合小屋までは雪の斜面となり、ルートを外してしまった。少々戻ると残置の赤旗が立っており、ひと安心。ホワイトアウト時は必ず迷うので、切合小屋から飯豊本山の往復には赤旗が30本ほどあると安心だろう。地形図と赤旗を頼りに歩き、7時に切合小屋に辿り着いた。この頃からガスが抜け視界が回復した。切合小屋から三国小屋は視界不良時は種蒔山から南西に出ている尾根に誘い込まれないよう注意が必要だ。また、種蒔山から三国岳までは東側に3〜10mの雪庇が張り出しており、要注意である。種蒔山からは時折腰まで潜るラッセルとなり、難儀しながら三国小屋へ。この区間はノーマークであったが、神経を使う箇所であり、川入から飯豊本山までの核心かもしれない。三国小屋から10分ほど疣岩山方面に進んだところから松ノ木尾根を下る。

松ノ木尾根の下降点。ガスっていたら見つけるのに苦労しそうだ。

非常に明瞭な尾根であり、視界が良ければ容易に見つけることができる。松ノ木尾根には赤布は見当たらず、1100m付近で尾根が90度曲がるところの木に赤テープが巻かれているのみであった。クライマーズライトに張り出す雪庇をケアしながら、1100m付近までサクサク下ることができた。ここから下部は尾根が痩せることに加え、クライマーズライトには雪庇、クライマーズレフトには融雪によるグライドクラックがそれぞれできていた。ロープは出さず750m付近まで慎重に下った。ここから下はもはや稜上を下るのは不可能なほどクラックでズタズタになっていた。また、あまり下ると渡渉が面倒であろうことから、750m付近からタカツコ沢に向けて斜面を下り、スノーブリッジを越えて広河原状の平地に降り立った。三国小屋からここまでは約2時間かかった。ここからは川入まで雨の中1時間半ひたすら平地のラッセルとなったが、下山パワー全開で進んだ。深雪に閉ざされた無人の川入集落に着き、固い握手を交わす。過酷な日々から解放された安堵と確かに飯豊連峰縦走を完遂したという充足感で自然と表情も弛んだ。と同時に、若干の名残惜しさも感じつつの終末だった。

雪に埋もれた川入集落に下山。人もおらず、圏外。いいでのゆまでの歩きが確定。トリップ感は最高潮。

しかし、ここから電波の入る「いいでのゆ」までは約10キロの林道歩きをしいられる。途中林道を塞ぐデブリをいくつも越え、林道横の斜面からの全層雪崩の恐怖に怯えながら、ようやく「いいでのゆ」に到着した。

斜面からのデブリが道を塞ぐ。下敷きになったらと思うと恐ろしい。

「いいでのゆ」の熱い温泉で汗を流し、無事成功の余韻に浸った。冬山から下山してきての温泉はやはり最高だ。いつまでも入って居たかったが、今晩のベッドと温かい布団での睡眠は譲れない。(下りてしまえば、先ほどまでの名残惜しさも過去のものとなるらしい。)風呂からあがるや否やタクシーを呼び、いよいよ車中の人となる。春の足音が迫る国道を喜多方駅まで。駅前の食堂で名物の喜多方ラーメンに舌鼓をうち、郡山から新幹線で各自帰京した。新幹線が県境を越え栃木県に差し掛かると、朝から降り続いていた雨は上がっていた。

老兵は去るのみ!