2016年度夏山合宿 定着パート

翼やあれがパリの火だ」

1927年大西洋単独横断飛行を成功させたリンドバーグが冒険の終わりに口にしたとされる言葉です。(実際には彼は言っておらず、映画のタイトルになっただけのようですが、、)33時間を超える大冒険を共にした「スピリットオブセントルイス号」に対する「よくぞもってくれた!」という労いと感謝、そして偉業を成し遂げた達成感が非常によく現れています。まさしく旅の終わりを飾る「名言」ですね。

さて、私たちもこの夏、夏山合宿という名の旅をしてきました。遅くなりましたが、私たちにとっての大西洋横断であった今合宿について報告したいと思います。

1.対象:北アルプス剱岳定着〜欅平〜清水尾根〜白馬岳〜蓮華温泉〜栂海新道〜親不知

2.期間:8月1日〜8月12日

3.メンバー:4年CL小川、田中、鈴木雄大 3年福田、鈴木健斗 1年中島、浅川、小野 5年犬塚

4.概要:

8月1日移動日
いよいよ「大西洋横断」の始まりである。部室に集合し、最終チェックを行う。コンディションは良好、モチベーションも最高だ。問題なくチェックは済みはやる気持ちを抑えながら夜行バスに乗り込んだ。

8月2日富山駅〜室堂〜真砂沢ロッジ
朝5時半にバスは富山駅北口に到着した。ここから電鉄富山まで通い慣れた地下道を寝ぼけながら行く。目は覚めていなくても身体が覚えているもので立山駅行きの電車に乗り込み二度寝を決め込む。が、途中千垣駅で起こされる。どうやら先日の大雨で線路が土砂に埋まり立山まで行けなくなっていたようだ。千垣からバスに乗り立山までは10分ほど。まさかの船出となったが、「トラブルは旅を彩る調味料」との某氏の言葉を思い出し、いい経験と思い込むことにした。立山駅から先はいつも通りに運行しており、無事に室堂に到着した。室堂はガス。一列に並んで出発した。2ピッチ半で剣沢に到着し、県警の方に挨拶と同時に雪渓の状態について説明を受ける。今年はかなり融解が進み、剣沢の通行は推奨されてはいなかった。加えて1年中島がここへ来る途中で捻挫をしたようで、かなり遅れて剣沢に到着した。状況は芳しくないが、翌日の行動やリスクを総合的に判断し真砂沢へ下ることにした。平蔵の出会いまで夏道を歩き、対岸にトラバース。ここで3ピッチロープを出した。予想以上に時間を使いようやく真砂沢へ到着した。

長次郎谷出合付近より真砂沢ロッジ方面。雪渓の崩落が目立つ。

真砂沢ロッジ付近。もはや雪渓ではない。

8月3日真砂沢TS〜源次郎尾根〜本峰〜別山尾根〜真砂沢TS
昨日の雪渓の様子からこの日の行動は源次郎尾根とした。平蔵谷は側壁の崩壊により通行不可と判断し、別山尾根下降となった。源次郎尾根はかなり順調に進んで正午には本峰に到着した。

源次郎尾根を登る。

ここからがかなり長かった。1年浅川が遅れだし、前剣大岩のあたりで完全に止まってしまった。パーティーを分け浅川を上級生2人でケアしながら下降した。前日同様平蔵の出会いのトラバースでは3ピッチFIXし、通過した。結局遅れた浅川の帰幕は17時を過ぎてしまった。

8月4日真砂沢TS〜六峰フェース登攀〜真砂沢TS
天気は無風快晴。Aフェース及びCフェースの登攀を目的に早朝の剣沢を登り返す。良いペースで長次郎の出合に到着。ここから取り付きまで雪渓を延々と登る。はずが、途中で雪渓が完全に切れ川になっていた。ここでも今年の雪の少なさを実感する。

億劫な右岸の岩場を通過し、雪渓に戻るも取り付きの200メートル下で雪渓が完全になくなってしまった。落石をケアしながら取り付きまで登る。なんて年だ。しかし、取り付きについてしまえばノー問題。3パーティに分かれそれぞれがAフェース、Cフェースの2〜3ルートの登攀を行った。快晴ではあったが、Aフェースの魚津高ルートと中大ルートはどちらも濡れていた。

Aフェース中大ルートを軽々攀じるヨセミテ帰りのアルパインユーディニ

同じく中大ルートをフォローする1年中島

対してCフェースは快適そのもの。一年もハイライトの馬の背を快調に通過していた。1年浅川は登山靴でCフェースをフォローしていた。

Cフェースのハイライトで最高にハイになるフレッシュマンの小野峻

ハイライトの馬の背でも登山靴ながら産まれたての小鹿になることなく冷静さを保つフレッシュマンの浅川秋人。

数こそ少ないが充実した登攀となった。Aフェースの取り付きの岩小屋で待ち合わせし、全員で長次郎谷を駆け下った。帰幕後は登攀の無事終了を祝って外で鍋を囲んだ。

皆が視線をカメラに向ける中一人黙々と作業を続ける中島。

1年小野に炊事を教えるユーダイ・シェルパ。生活技術はさすがだ。

8月5日真砂沢TS〜池の平小屋TS
前日までで登攀を終え、欅平へ向け出発する。少々物足りないが、雪渓の状況を鑑みての決断であった。この日に犬塚、田中、鈴木健斗が下山した。真砂沢でお互いの無事を祈り合い、彼らと逆の親不知へ向け歩き出した。雲ひとつない青空だった。

雲ひとつない青空は気分爽快にさせる一方、太陽が容赦なく私たちを照らしつけた。あまりの暑さに耐えられず、二股で水浴びをした。痛いほど冷たい雪解け水が私たちの火照った身体と心を洗い流してくれた。

気分転換の水浴びのときもトレーニングを怠らない4年の2人。

夏山の醍醐味とも言える水浴びで気分転換をした私たちは池の平小屋までの登りをサクッとこなし10時半頃TSに到着した。時間がありすぎるので、洗濯や水浴びをした。しかし、それでも暇なので平の池付近に転がるボルダーを探しに出かけた。幸い全装を担いできた私たちは登攀具には事欠かなかった。

紳士のたしなみ、水浴びを済ませた後、フロンティアを探しに行く開拓者達。

たどり着いた平の池には1メートルほどの岩しかなく、開拓者たちは無言で池の平小屋へ引き返していった。

8月6日池の平小屋〜阿曽原温泉〜祖母谷温泉
今日は阿曽原温泉小屋まで。前日はかなり休めたので、早めに起床し池の平小屋を後にした。仙人池に着く頃に空が明るくなり、仙人池に八ツ峰が逆さまに浮かんでいた。

このペースなら阿曽原温泉小屋を越えて祖母谷温泉まで行けるかもしれないので、ペースを維持して阿曽原温泉へ一気に下る。途中雪渓のトラバースがあったが、雪のトンネルになっておりくぐって通過できた。

仙人温泉小屋からの雲切新道は2007年に開通した道だが、周辺の山小屋の方々のご尽力にやり今では快適な登山道となっていた。

親切な看板。これのおかげで頭を打たずに済んだ。

仙人ダムまでノンストップで下るが、標高が下がるごとに気温はグングン上がっていった。そろそろ暑くて堪えそうだと思い始めたころに仙人ダムに到着した。ここからははるか昔に電源開発のために作られた旧日電歩道を行く。一度ダムの施設内に入り涼しいトンネル内をだいぶ歩いた。山奥にいるはずなのに建物の中を歩くというのが不思議な感覚であった。

ここから旧日電歩道に入る。不思議な感覚。

トンネル内はヘッドランプ要らず。ひんやり気持ちいいが、一部高熱隧道の高熱ぶりを感じる箇所もあった。

仙人ダムを越えて阿曽原温泉小屋に到着。依然9時半。祖母谷温泉まで行けると確信し、長めに休憩を取る。歩き始めてすぐ水平歩道に出た。文字通り水平な歩道が延々と続く。断崖をくり抜いて作られた人1人通るのがやっとの箇所も出てきた。ひとつ間違えれば谷底まで200メートル真っ逆さま。命はない。

細心の注意を払いながら歩いて行くが、いかんせん暑い。標高は1000メートルしかないし、水平歩道は南を向いているため灼熱の太陽光線が私たちを照らし続けるのだ。手元の温度系は40度を指していた。途中長短様々なトンネルを幾つかくぐり、熱中症と闘いながら歩いているとはるか下からトロッコ電車の汽笛が聞こえてきた。もうすぐ私たちは下界に下りるのだ。キンキンに冷えたコーラを飲むことにしよう。そうこう考えているうちに欅平に到着した。

ひとまず欅平に到着し、安堵の表情を浮かべる隊員たち。撮影 福田。

欅平から祖母谷温泉までが意外と長かった。到着後小屋の方に挨拶を済ませテントを建てていると、小屋の方にスイカの差し入れを頂いた。黒部渓谷の沢水で冷やされたスイカはこれ以上ないほど甘く、定着パートを終えた私たちの身体を潤してくれた。温泉で汗と疲れを流し、就寝した。明日はレストだ。

福田

ーー縦走パートに続くーー